この絵のテーマである「聖母の戴冠」は、新約聖書に記載のあるエピソードではありませんが、反宗教改革のなかで 当時のカトリック教会が積極的に信者に説いた教義の一つです。このテーマのベースとなった文献は二つあります。一つは13世紀にジェノバの司教ジャック・ド・ヴォラジンが書いた「黄金伝説」です。その冒頭部分に、イエスが母マリアに言った言葉として「来なさい。私は貴女を選びました。そして貴女を私の王座に座らせましょう。なぜなら貴女の美しさを欲するからです。」と書かれてあります。画面に注目してください。イエスは「主の右に座したまえり」といわれるように、通常主の右に座っているはずですが、ここではイエスの代わりに聖母が座して、そこで冠を授かっています。もう一つの文献は「聖ヨハネによる福音書」の外典です。外典というのは正規の聖書として認められていない文献ですが、その幾つかは「黄金伝説」と同様に、聖書を知る上で大切な参考書として広く読まれていました。その外典には「太陽が聖母を覆った。月は聖母の足元にあった」と書かれています。この絵の上半分の聖母の背景をよく見てください。太陽が照り輝いて聖母を覆っています。つまりルーベンスは、聖母の後ろに太陽が輝く様子を、当時読まれていた聖ヨハネによる福音書の外典をから取り入れたのです。 次に右上の神を見てください。神様は地球の上に座しています。これは主が世界を治めるという意味です。そして左のイエス・キリストは殉教者であることを意味する赤い衣をきています。画面の一番上を見てください。冠の上に白いハトが飛んでいます。これは精霊のシンボルです。つまりここで主とイエス・キリスト、それに精霊による三位一体によって、月桂樹であんだ勝利の冠が聖母に授けられるところです。この三位一体による聖母マリアの戴冠によって、聖母は神聖なる天の女王と見做され、聖母被昇天と聖母の戴冠を認めないプロテスタントと根本的に区別されるのです。この点は反宗教改革においてカトリック教会の教義上のかなめでもありました。 |
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著者: 森 耕治 (もり こうじ) |