ダヴィデというのは古代イスラエルを統一した王様の名で、当時ローマの支配下にあったイスラエルでは、救世主はそのダヴィデ王の子孫から生まれると信じられていました。その救世主を象徴するダヴィデの王座が、右端になにげなく描かれる長いすなのです。これが王座であることは、イスの両端にライオンの像がついていることで分かります。それに、もうすぐ生まれてくるイエスが座ることになるクッションが長いすに置かれています。 イエスの後の受難を象徴するかのように、暖炉の上には聖クリストフォロスが幼子イエスを担いで河を渡る姿が描かれています。アントワープ大聖堂の「キリスト降下」の裏のパネルにも描かれている聖クリストフォロスは、河で旅人をかついでわたす仕事をしていました。ある日、幼子イエスを(そうとは知らずに)かついで河を渡ろうとしたら、小さな子どもが次第に重たくなってきました。不思議に思って理由を聞いてみたら、「私は世界中の罪を背負っているから重いのだ」という返事がもどってきました。そのエピソードをここに描きこむことで、イエスの後の受難を暗示しているのです。 次にテーブルに注目してください。テーブルは円形ではなく14角形に描かれています。14角形に描かれた理由は現在のところ不明です。ただし、聖母信仰に関して、14の数字が意味することが一つだけあります。当時神学者たちに広く読まれていたと思われる聖人伝説集「黄金伝説」によると、聖母は14歳のときにイエスを身ごもり、15歳のときに出産しました。つまり、この14角形のテーブルと白百合は、全部で聖母が14歳で処女のまま懐妊したという純潔性を表しているのかもしれません。もちろんこれは仮定にすぎませんが、14という数字に理由があったために、それを明確にするために視点をあえて高くする必要が生じた可能性があります。さもなければ、視点を低くするとテーブルが円形に見えてしまうからです。 テーブルの上の花瓶にさされた白百合は、いうまでもなく聖母が処女のまま懐妊したという純潔さを象徴しているのですが、新約聖書には、精霊が聖母に降りて聖母が懐妊したと書かれています。その精霊は、通常白いハトの姿で表わされます。その白いハトが、花瓶に描かれています。またテーブルと暖炉の上の燭台に蝋燭が一本のみつけられて、もう一本が欠けているのは、イエスの誕生によって新しい時代が始まることを告げているのです。テーブルの上に無造作に置かれた本は、聖書であり、聖書といっしょに置かれた長細い麻布は、イエスが磔になった後にイエスの身体を包んだ麻布であり、イエスの後の受難を暗示しているのです。当然聖母が読んでいる本は、聖書だと思われます。ところで、一本だけつけられた蝋燭に灯りが灯っていないのは,降りてきた精霊がもたらす神の光のためだと言われてきました。しかし、メトロポリタン美術館が所蔵する別のバージョンでは、絵の光景は明らかに昼間の光景で、しかも、部屋の窓は開いたままです。したがって、蝋燭に灯りが灯っていないのはむしろ当然なのです。 |
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著者: 森 耕治 (もり こうじ) |