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No.8 学童達のパレード 1878年        (ベルギー 王立美術館蔵) 
〈La revue des écoles en 1878〉 


ヤン・ヴルハース 〈JAN VERHAS〉

(絵をクリックすると拡大画像が出ます。こちらをクリックすると別ウィンドウで絵が開きます。)

この絵を描いたヤン・ヴルハースは19世紀後半のベルギーを代表するリアリスムの画家です。お兄さんもお父さんも優秀な画家でした。

画面を見てください。時は1878年の8月24日。小学校の女子生徒たちが先生に連れられて、このすぐ横にある王宮の前をパレードしているところです。パレードの最前列の左から8人目は描いたヤン・ヴルハースの姪のルイーズ・ポンスレです。当時の王宮の前には現在のような大きな金属製の柵はありませんでした。階段上の赤絨毯の上には見事なあごヒゲをはやした国王レオポルド2世をはじめとして、王室のメンバー、それにその左右には政府の大臣・高官達がずらっと並んでいます。王宮のバルコンや王宮前の広場にもシルクハットやナポレオン帽をかぶった政府とブラッセル市の高官たちが勢ぞろいしてパレードを見守っています。画面右端の向こうには、サン・ミッシェル大聖堂の尖塔も見えます。

でも王宮前を軍隊ではなく、小学校の女子生徒たちがパレードをするというのは ずいぶん不思議な話ですね。しかも、ベルギーにはカトリック校が多いのに、画面上にはたった一人の神父様もシスターの姿も見えません。これを理解するには、当時のベルギーの教育事情を知る必要があります。1830年の独立後、ベルギーでは各自治体に学校が設けられました。しかし、義務教育化は実行されず、女の子の就学率も低いままでした。しかも大半の学校では、たとえ自治体が運営資金や場所を提供しても、教育現場では教会の関係者が実権を握っていました。この絵が描かれた1878年当時、ベルギーのわずか13パーセントの学校が宗教色のない学校であったそうです。
そんな状況のなかで、1878年の選挙で勝利を収めたリベラル党は、教育における教会からの独立と自由化を推し進めることに精力をそそぎました。その教育自由化の流れのなかで、この公立学校のパレードが行なわれたのです。言い換えれば、これは教会と関係のない公立学校のパレードだったのです。そのために画面上にはタダ一人として、カトリック校につきもののシスターやブラザーの姿が描かれていないのです。

パレードを企画したのはブラッセルの当時の市会議員で後に市長となったシャルル・ブルスです。またパレードの先頭を行進したのは、ベルギーで最初の、教会から完全に独立した公立の女子学園の生徒たちでした。この女子学園は1864年に、ブラッセルのマレー通りに創設されました。最前列の左を歩く先生は、恐らくその女子学園の園長だったイザベル・ガッティ・ドゥ・ガモンでしょう。.彼女は19世紀後半、ベルギーの女子教育の発展に多大な貢献をしました。

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森 耕治著者: 森 耕治 (もり こうじ)
美術史家 ベルギー王立美術館専属公認解説者、ポール・デルボー美術館公認解説者、 京都出身、 5歳のときから油絵を学び、11歳のときより京都の 川端 紘一画伯に師事。水墨画家 篠原貴之とは同門。 ソルボンヌ、ルーブル学院、パリ骨董学院等に学び、2009年よりマグリット美術館のあるベルギー王立美術館に日本人として初の専属解説者として任命され、2010年には、ポール・デルボー美術館からも作品解説者として任命された。フランスとベルギーで年10回に及ぶ講演会をこなす一方、過去に数多くの論文を発表。マグリット、デルボー、ルーベンス、ブリューゲル、アンソール、クノップフ等の研究で、比類なき洞察力を発揮。そのユニークな美術史論と独特な語り口で、雑誌「ゆうゆう」NHKの「迷宮美術館」、今年2月の日経新聞のマグリット特集、ベルギー国営テレビ等マスコミの注目を集める。【お問い合わせ先

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